◉旧暦カフェ 「やってみる」自習シリーズ
今回の「旧暦カフェ」自習は「お盆」の提案でした。
情報が寄せられていますので、ご報告いたします。
それぞれの旧暦カフェ・ワークショップ 特別自習(7) お盆 死者を思う季節 2022年8月12日(金)
https://www.xpl.jp/ws-20220812jisyu/
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自習仲間の大竹誠さんの紹介で清水ますみさんが帰省先の宮城県亘理町の鈴木仁さん(81歳)、宮城県名取市のご友人平崎理津子さんにその地のお盆について聞いてくださいました。
宮城県亘理町先祖代々在住・「亘理郷土史研究会」会員
亘理町は昭和30年、周辺の吉田村、逢隈村、荒浜町、亘理町が大合併して新亘理町が出来た。
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お盆のことは、旧町村地域、宗派、今昔で大きく変わるようです。
私のところは「真言宗智山派」です。昭和20年代のこの辺りでは、道路の舗装もなく車もほとんどなかったので、盆入りの夜に各自宅の道路前で、麦わらを燃やす、盛大な迎え火を行っていたものです。
大農家では門前に麦わらを山と積み上げ、炎の大きさを競っていたものです。非農家ではそこから小さな一束をもらって燃やす程度なのでした。
(迎え火は、お仏さんが迷わず自宅に帰って来れるようにとの風習からきているようです)
盆の終わりの送り火も同様でした。
当時は宗派に関係なく、どこの家でもやっていたものです。しかし、少し豊かになり宗派の意味が厳格化されてくると浄土真宗では極楽で往生しているのだから、特別なことはしなくていいよということになったみたいです。
(今は真言宗でも仏壇前の提灯での迎え火みたいなことになっております)
盆提灯に青い色が多いのは涼を求めてのことだったと思います。
仏壇前には、別に低い机を備え付け、その上に盆ゴザという稲に似たマコモという植物を刈り取ってきて乾燥させて編んだゴザを敷くのです。盆御座というような意味で、帰って来たお仏さんがすわるというような意味合いでしょう。 ゴザの上には、ご先祖様に十分に食べていただくようにということで、トマト、スイカとか多くの果物、野菜を並べ、さらに賑やかな様子を見せようと工夫をしたものです。普段は仏壇の中にあるお位牌も全て出してゴザの上に並べるのです。
今は小仏壇用の小さなボンゴザが100円ショップで売っている時代です。
きゅうりを馬に見立てて、早く仏様が帰れるようにと千本足の意味で当時はマッチ棒を沢山差し込んで立てていたのです。今は爪楊枝や割り箸ですね。茄子は牛に見立て、ゆっくりとお帰りになるようにと4本足です。
私のお寺(亘理観音院)では、昭和40年代に14日には檀徒が集められお施餓鬼供養や水子供養があり、仙台陸奥国分寺の大僧正がきて、お盆の意味だとか、お中元、お布施の意味などについて漫談気味に話すので、楽しく聞いていたものです。中元とはお月様のことで、上弦の月、下弦の月と合わさると満月となる、これが中弦すなわち旧暦の15日であると。これが中元と漢字が変ってしまった。本来は仏様への捧げもののことを意味した。今や人への贈り物になってしまったと。
またお盆はお仏さますなわちご先祖様をもてなす期間である。今や生き仏が一升瓶を抱えて自分をもてなしていると。こんな話で笑わせておりました。
昔は、その年に亡くなった人の盆を新盆(ニイボン)と言って大事にしたものですが、今は何もかも簡素化の時代で、全く形式的なものになってしまったと思います。
盆は梵(梵字)から来たものではないでしょうか。その後、お布施などを盆の上に乗せて出すことから盆になったのではないかと。あるいは半月からやや欠けた状態がお盆に見えるとか。
また地域差では旧荒浜村が漁業を主体としていることから、縁起や信仰を重んずることが多く、高灯篭という数人がかりで作る高くて大きなものを作ってきていた。浜に出かけると目にしたもので、今もわずかながら作られています。
記憶を頼りに記してみました。
【清水ますみさんより】
鈴木仁さんは亘理町の長老で、郷土を愛し、郷土史にとても詳しい方です。ご自身を郷土史愛好者がせいぜいと仰るけれど、なんのなんの。郷土史以外の諸々についても頼りにさせていただいています。
きゅうりの馬に足をたくさんつけるとこ、微笑ましいです。
こうやって、人々の思いを細部に刻んで、さまざまな風習として今に至るのでしょうね。
長老の貴重な記憶、ありがとうございました。
仙台市内に暮らしていましたが、父のリタイアを機に、その家を処分して母の実家の地である亘理町に家を建てて移住して、もはや約30数年。亘理町が私の帰省地となったのでした。
私の幼少時、お盆に亘理町の商家である母の実家に泊まりに行くことがありました。その時の記憶にあるのは、この2つくらいで・・・。
・仏壇の前に、対の青い提灯が置かれて灯が点り、仏壇が賑やかになっている
・お墓参りは早朝に行くので驚いた
鈴木仁さんのお話の最後に出てくる、旧荒浜村で数人がかりで作る高くて大きな「高灯篭」。
私は亘理の町中しか知らないので見たことはないのですが、仁さんがお持ちの『亘理の歴史 民族編』に写真があったので添付してみます。太平洋沿いの魚村ゆえ、東日本大震災では村まるごと消失したと言って過言ではない土地です。ネットで調べてみると、仮設村に建てた「高灯篭」の写真がありました。そんなお盆もなさった方々の土地です。
写真は平成29年のものとのこと。
『亘理の歴史 民族編』より<「高灯篭」完成図>
『亘理の歴史 民族編』より<「高灯篭」の立つ風景>
実は、南三陸の海に近い民宿でも同じような高灯籠の話を以前聞きました。
杉の葉をにひも挟んで家の中まで引きこんで、それを伝って戻ってくるのだとか。非常に印象に残っていました。
結界に付ける紙の御幣も、紙以前はこのような自然の葉が使われていたのではないか、、そのような気がしています。
母・星政乃さん(1925年生まれ)から聞いたお盆の話
・祖父がマコモゴザを編みはじめるとお盆準備スタート!
そのいい匂いが忘れられない。お盆の匂い。
マコモ草はあちらこちらに沢山自生していたので、早めに刈り取って干して置く、厳密にいえばここからお盆の準備が始まっている。
・迎え火として仏壇の両側や、玄関に提灯を下げる。
・マコモゴザの上には、蓮の葉の代わりに(手に入らない)里芋の葉を裏返して、その上にお精進料理を供える。お盆の間中毎日、朝食に。
精進料理と言っても里芋、油揚、椎茸とか、一種類づつ、仏様が食べやすいようにほんの一口づつだったような、天ぷらなど手の込んだものはない(友人の記憶)。
・旬の野菜を(茄子、胡瓜、いんげん、茗荷など)を、2個づつ糸で結びマコモゴザの上に吊して供える。やり方は天井から竹竿を横に吊し、野菜を左右に振り分けて吊り下げる。
・家は本家だったこともあり、親戚が入れ替わり立ち替わりやって来る。おかげで子供達はおこづかいが貰えるのがお盆の楽しみ。
ともかく一大イベントがお盆。
・真っ白な小さな団子を沢山作って親戚中でお墓参りに行く。その時は必ず正面の門から出る。
花束とかお供え物を持たされるので、つい近道して裏木戸から出て合流したら叱られた思い出がある(友人の記憶)。
情熱提供:清水ますみ
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